いじめを形式的な謝罪会で解決するリスク

いじめが発覚したとき、教員や学校が取る対応のひとつに謝罪会があります。
加害者に被害者へ謝罪させ、関係の修復を図るというものです。
一見するといじめに向き合って解決しようとしているように見えるのですが、実際はこの謝罪会が形式的なものとなり、被害者をさらに傷つける結果になることが少なくありません。
今回はいじめ問題における形式的な謝罪会のリスクについて、具体的に解説していきます。
いじめの形式的な謝罪会による解決とは

ここでの形式的な謝罪会による解決とは、いじめの実態や被害者の気持ちを十分に確認しないまま、当事者を同じ場に集めて謝罪させて解決しようというものです。
悪いことをしたら謝罪をするというのは大事なことですが、入念な配慮無しに謝罪会を行った場合、被害者は加害者を許さなくてはならないようなプレッシャーや、かえって納得のいかない気持ちを感じてしまいます。
謝罪会において、時には被害者の方にも悪いところがあったと指摘し、お互いに謝罪するという喧嘩両成敗的な解決を図る教員もいます。そのような対応は被害者を守るという姿勢に乏しいものとなります。
形式的な謝罪会による解決のリスク
加害者からの謝罪というのは本来であれば重要なプロセスの一つですが、これが形式的に行われると、かえって問題を深刻化させてしまうことがあります。
形式的な謝罪会による解決が、いじめの重大事態化に繋がる
形式的な謝罪によるリスクは広く言われており、例えばこども家庭庁が2025年に出した「いじめの重大化を防ぐための留意事項集」でも、以下のようにいじめ再発やエスカレートのリスクが述べられています。
いじめを行った児童生徒に対し、形式的な謝罪を求めたり言葉上での反省をさせたりするだけでは、いじめを行った児童生徒の行動変容に至らず、いじめが再発したり教職員に見えないところでエスカレートしたりしてしまう場合があることから、自分の行ったことの重大性を理解させるなど毅然とした対応を行うことが重要である。
こども家庭庁・文部科学省(2025). 「いじめの重大化を防ぐための留意事項集」より
他にも千葉氏(2013)は当事者同士の話し合いの危険性について言及しており、以下のように述べています。
日本でもアメリカでも、当事者同士で話し合いをさせた後の被害者の自殺は多く見られます。現在アメリカでは「握手の後の自殺」を防ぐため当事者同士の話し合いはさせません。
千葉考司(2013)「いじめは絶対ゆるさない:現場での対応から予防まで」p.20より
実際に2026年のニュースでも、高校が加害側から生徒へ謝罪の機会を設けたが、その日の夜、被害生徒は大量に服薬をしたとの報道もされています。
(KKT NEWS NNN(2026). 『グループLINEで「きも」など県立高でいじめ 加害側から謝罪後被害生徒が大量服薬』より)
被害者を更に苦しめてしまう可能性がある
形式的な謝罪会による影響で、まず真っ先に考えなければならないのが、被害者への影響です。
いじめを受けた子どもにとって、加害者と同じ空間に立つこと自体がすでに大きなストレスです。
そんな状態で謝罪を受け入れることを求められても、被害者にとってはまた我慢しなければならない場面にしかなりません。
心の伴っていない謝罪を目の前で聞かされ、教師がそれを良しとすることで、やはり自分のことは誰もわかってくれないという感覚を強めてしまうこともあります。
加害者のシンキングエラーに繋がることも
大人でも、本当に反省していなくても謝罪の言葉を口にすることはできます。子どもはそれが特に得意です。
場の空気を読んで謝罪をすることは、いじめをやめることとは別の話です。表面上だけ収束したように見えて、加害者にとってはむしろ「謝ればいじめをリセットできる」という認識を強化してしまう危険性があります。
謝罪という行為の難しさと重要さ
いじめ問題における謝罪会の危険性について論文を書いている藤川氏は、謝罪という行為について以下のように述べています。
謝罪という行為は大変複雑であり、単純に「謝ればいい」として被害者のニーズに配慮せず謝罪がなされても、被害者に受け入れられるとは限らず、かえって被害者をさらに苦しめることになりかねない。
藤川大祐(2024)「いじめ問題における謝罪:謝罪指導の改善のために」より
謝罪という行為は非常に難しく、しっかりと加害者に反省させ、被害者の納得を得るためには、それなりの段階を踏まなければなりません。
いじめ行為の謝罪の必要性
謝罪行為のリスクについて色々と挙げてきましたが、いじめ加害者への対応として、謝罪は必要であるとの意見はあります。
斎藤氏(2022)によれば、いじめ問題への対策における必要なこととして、著書の中で以下の三点を挙げています。
・加害者の謝罪
・加害者への処罰
・被害者の納得
斎藤環・内田良(2022)「いじめ加害者にどう対応するか:処罰と被害者優先のケア」 p.33-34より
ただし一番重要なのは被害者の気持ちであることから、謝罪が必須であるとの固定観念は持たず、第一に被害者の心情に寄り添った対応をすることが重要です。
また、謝罪と処罰は必要な反面、教師による指導はしてはいけないと著書の中で述べています。どうしても指導がしたいとしても、謝罪・処罰・納得の三点セットを済ませてからであると指摘されています。

教師がいじめを形式的に解決しようとする要因
教師がいじめを形式的に解決しようとする背景には、いくつかの要因が考えられます。
いじめを抱え込む結果として形式的に解決してしまう
学級担任は、いじめ対策に努めていても、どこかで「いじめの発生は自分の指導力不足と同僚から見られるのではないか」という懸念があり、その懸念は時として問題の過小判断に繋がってしまいます。つまり、事態を深刻な問題として捉えなければ、対応はしないか、表面的な対応で済ませて誰かに報告することもない、ということです。
河村茂雄・武蔵由佳・苅間澤勇人・水谷明弘(2016)「組織で支え合う!学級担任のいじめ対策:ヘルプサインと向き合うチェックポイントとQ-U活用法」より
上記の指摘からは、いじめを軽んじた教員が形式的に解決し、そのまま情報共有せずに抱え込みをすることが示唆されています。
言い換えれば、教師がいじめを抱え込もうとした結果、謝罪会などの安易で形式的な解決を選びがちになる可能性があるということです。
教師がいじめを抱え込む要因として、報告や共有への抵抗感や、自分が解決できるという過信などが考えられますが、抱え込みを防止することが形式的な解決の予防にも繋がると考えられます。

謝罪会は教員が楽になるための儀式
山本ら(2018)によれば、学校は謝罪の会が大好きであり、その理由として学校にとって利益があるためだと述べています。
謝罪の会は、学校側が問題にけりをつけるタイミングとして機能しているといえます。児童生徒の日々の人間関係は曖昧なものであるにもかかわらず、それに耐えきれなくなった教師が儀式を境にこれを抱えなくてもよいという楽な道を選んでいるのです。教師が楽になるための儀式、それが謝罪の会の本当の機能かもしれません。
山本奬・大谷哲弘・小関俊祐(2018)「いじめ問題解決ハンドブック:教師とカウンセラーの実践を支える学校臨床心理学の発想」より
また、尾木(2013)も大津事件の形式的謝罪会の原因として、解決の労力を回避しようとする教員の心理を挙げています。(尾木直樹(2013)「いじめ問題をどう克服するか」より)
教員は多忙であることからも、できるだけ生徒同士のトラブルを避けたいと考えています。そのため、いじめ問題を早く解決してしまいたいという思考になってしまうことも無理はありません。
しかしその思考がいじめの重大事態に繋がりかねないことから、一人ひとりの教員が形式的解決のリスクを意識しておくことが重要です。
日本には謝罪を優先する文化や風潮がある
藤川(2024)は謝罪と文化やジェンダーの関係について考察しており、以下のように述べています。
特に日本においては人間関係の修復が重視されることから謝罪が多くなされる傾向があり、感謝の場面においても謝罪の表現が使われるほどである。また、親や教師による指導でも謝罪が促されている。
藤川大祐(2024)「いじめ問題における謝罪:謝罪指導の改善のために」より
このことから、日本の文化背景による要因として、教員や学校が謝罪優位の指導を取ってしまう可能性が考えられます。
必ずしも教員が楽になりたいという恣意的な考えで謝罪会をしてしまうのではなく、文化的な背景から早期の謝罪が正しいことと思いこみ、結果として不適切対応に繋がる危険性が考えられます。
まとめ
いじめ対応における謝罪そのものを否定する必要はありません。しかし、それが形式的に行われ、問題を終わらせるための手段になってしまうと、かえって逆効果になるリスクが存在します。
いじめへの対応において、謝罪は非常に難しい問題です。教師個人で決して判断せず、学校いじめ対策組織に報告・相談したうえで、組織的に判断することが重要です。

いじめ問題に必要なのは、スピード感のある解決ではなく、被害者が守られていると実感できるような組織的なサポートです。
形式的な対応はむしろ問題の本質を見えにくくします。丁寧に時間をかけて、被害者の心情に寄り添いつつ組織的に対応することが、いじめ解決においては重要です。
